こんにちは。昨日は「13日の金曜日」でしたね(笑)。
あと、台風近付いてるな…来ないでくれ~。
さて、一昨日、昨日と埼玉西武ライオンズについて辛口意見を書き込んで来たのですが、
今回は逆に西武球団の功績について述べたいと思います。
- 【1. プロ野球の泥臭いイメージを変えるさわやかイメージ】
- 【2. 他球団の一歩先を進んだ野球】
- 【3. パシフィック・リーグの人気・知名度向上に貢献】
- 【4. パ球団の「巨人コンプレックス」を吹き飛ばした】
- 【5. のちに監督となる人財を多数生み出した】
- 【6. 名曲『地平駈ける獅子を見た』】
【1. プロ野球の泥臭いイメージを変えるさわやかイメージ】
それまでのプロ野球は、泥臭い昭和の男みたいなイメージがあったのですが、
それとは対照的なさわやかイメージがありましたね。
女性や小さい子どものファンが近付きやすいイメージだったと思います。
とにかく、「ライオンズブルー」と言われる青を基調としたユニフォームは、
新しいプロ野球の時代の到来を感じさせましたね。
【2. 他球団の一歩先を進んだ野球】
そして、常に他球団の一歩先を進んだ未来的な野球でしたね。
1979年に誕生した西武ライオンズ球場*1はまさに未来的なデザインでしたし*2、
西武球場がそれまでの日本の球場から一回り大きい両翼95m、中堅120m*3でしたので、
より選手のパワーやスピードが付き他球団にとってまさに脅威となりましたね。
とにかく、黄金時代の西武ライオンズはメジャーに近くなった強さを感じさせましたね。
秋山幸二や清原和博といった選手は、メジャーでも通用出来たと思います。
【3. パシフィック・リーグの人気・知名度向上に貢献】
上に挙げた斬新なイメージ、そしてよりメジャーに近付いた強さで、
西武自体も人気になり、またライバルの他パ球団も西武としのぎを削って強くなり、
パ・リーグのさらなる人気・知名度の向上に貢献したと言えるでしょう。
とにかく、西武が強かったからこそ
ライバル球団にいた野茂英雄やイチローがメジャーで活躍出来たのかも知れません。
【4. パ球団の「巨人コンプレックス」を吹き飛ばした】
1982年に西武が日本一になるまでは、
パの球団は日本シリーズで読売ジャイアンツに押され気味だった感じを受けたのですが、
西武が常勝球団になって以降、他パ球団も巨人に対して物怖じしなくなった感じですね。
それが証拠に、巨人は2リーグ発足時の1950年から、
西武日本一前年の1981年までの31年間に16回の日本一になったのですが、
1982年から2023年の41年間に半分以下の6回の日本一にしかなってません。
(ちなみに、2013年以降日本一はご無沙汰ですね…)
【5. のちに監督となる人財を多数生み出した】
特に森祇晶監督に言えるのですが、のちに森監督時代に選手をやってた、
といった人たちが監督になりましたね。
これだけ監督になった人たちを見て、改めて森さんは凄いなあ~と思いました。
とにかく、この功績もかなり大きいと思います。
【6. 名曲『地平駈ける獅子を見た』】
西武になって誕生した、松崎しげるさんが歌う球団歌『地平を駈ける獅子を見た』は、
松崎さんの力強い熱唱と相まって、
選手やファンの皆さんにパワーを与えた曲だと思います。
この曲があったからこそ、西武黄金時代を築けたのだと思います。
他にも、『若き獅子たち~ウィー・アー・ザ・ライオンズ』や、
7イニング目に流れる『吠えろライオンズ』もいい曲ですね。
ちなみに、福岡時代のライオンズソングもいい曲がいっぱいあるので、
それらについてはいつか機会を改めて述べたいと思います。
…とまあ、わたくしなりに西武ライオンズの功績について、
述べさせてもらいました。
ライオンズナインは、これらについて是非誇りを持って欲しいと思います。