ジオ・ジーノのブログ

時代遅れの男です

埼玉西武ライオンズ早くも最下位決定!

こんばんは。

声優の篠原恵美さんが亡くなられましたね…セーラージュピター役で有名でしたね。

それにしても、今年は亡くなる声優さん多いなあ…ご冥福を祈ります。

 

さて、昨日は埼玉西武ライオンズ3年ぶりの最下位が決定しましたね。

前回は北海道日本ハムファイターズとの激しい争いの末の最下位でしたが、

今年はダンッットツの最下位でしたね!

 

ザ・トーケンズ『ライオンは寝ている』シングルジャケット

 

ライオンズがダントツの最下位なのは、西武になった1979年以来かと思ったが…

この時は、5位の南海ホークス*1と0.5ゲーム差だったんですよね。

開幕12連敗*2インパクト強かったからもっとボロボロかと思ったんですが…。

 

ダントツ最下位は1977年のクラウンライター時代にまでさかのぼりますね。

この時は5位の日本ハム*310.5ゲームを離されての最下位だったですね。

福岡時代末期の状態と一緒かよ…(呆れ)。

 

ちなみに、本日楽天イーグルスとの試合に負けた事により、

西鉄時代の1971年に作られた球団最多敗戦記録を更新する85敗目を喫しました。

このままだと、同年西鉄に作られた球団最低勝率.311を更新するのかも知れません。

 

最下位になったのは、経営が厳しいとか主力選手の度重なる流出とか、

いろいろ原因はあるかと思いますが、

個人的には、堤義明オーナー時代の数々の「暴挙」に対する”報い”が、

今になって来たのだろうと思います。

 

その「暴挙」とは…

 

  1. 福岡から埼玉所沢への移転
  2. 福岡時代を「黒歴史」扱い
  3. 選手のCM禁止令

 

が最たるものかと思います。

 

まず1は、今思えば福岡から移転するような事はしないで欲しかったですね。

弱くはなったけど、福岡に根付いた球団を奪うような事をした罪は大きいと思います。

 

まあ、今はホークスが福岡に根付いちゃったので今さら福岡に戻れとは言いませんが、

その償いとして、北陸や四国、あるいは沖縄等NPB球団のない所へ、

球団を移転をした方がいいのではないでしょうか?

 


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この曲は、西武への売却前に作られたのですが、「西武への恨み節」と思ってる人もいるでしょうね。

 

2は、ライオンズの歴史を築いてきた先人たちに対してあまりに失礼だと思います。

2005年に堤オーナーがスキャンダルで失脚して以降、

福岡時代の歴史を認める事になりましたが、時すでに遅しといった感もありましたね。

(まあ、まだ認めるだけマシですが…)

 

とにかく、堤氏が福岡時代をぞんざいにするような事をしなければ、

もっと心から西武を応援する人が多かったと思いますがね…。

 


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この曲は、上に挙げた動画『甦れ!俺の西鉄ライオンズ』のB面ですね。

 

3は、今思えば本当に勿体ない事をしたと思います。

「本業に精を出せ、CM分は金を払う」って事でCM禁止令を出したそうですが、

プロスポーツ選手はある意味半分芸能人のようなものですから、

CM禁止をするのはまさに噴飯物だと思います。

 


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1993年に発表された西武CM解禁第1弾CM。清原和博選手が出演しておりましたね。

 


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これも清原選手の出演CMですね。西武ナインは他にもCMに出て欲しい選手多かったなあ~。

 

もし西武ナインがCMに早くから登場したら、もっとお茶の間を味方に付けて、

日本シリーズでの「敵役」扱いにはならなかったのかも知れないし、

あるいはもっと早くからパ・リーグが人気になって、

ひょっとしたら近鉄球団の消滅もなかったのかも知れませんね。

 

他は1981年から2004年に掛けてファン感謝デーをして来なかったとか、

ゴールデンルーキーだった清原和博選手を甘やかし過ぎたとか、

堤氏の「暴挙」はいろいろとありますね…。

 

けど、その堤氏のおかげで1980~90年代半ばに「黄金時代」を築いたのもまた事実。

ある意味、バブル時代の主役みたいな人*4でしたからね。

それだけに、以上に挙げた「暴挙」の数々が実に残念でなりません。

 

とにかく、野球ファンの一人として今のライオンズの体たらくはあまりに寂しいですね。

願わくは、黄金時代の西鉄ライオンズのような野球をして欲しいと思います。

 

*1:現・福岡ソフトバンクホークス

*2:2分け挟む。

*3:この頃は、名前に「北海道」の付いてない多田野ただの日本ハムファイターズ

*4:桃太郎電鉄』で有名なゲームクリエイターさくまあきらさんは、堤氏に影響されてその『桃鉄』を作ったという逸話がありますね。