こんばんは。ジオ・ジーノです。
エナジック甲子園初勝利!
ひょっとしたら、台風の目になるかも!?
あと、早実も勝ちましたね。
清宮選手やハンカチさんの母校ですね。
新庄監督の母校の西短府も勝ったし、これもファイターズ効果なのかも?
さて、本題。
本日3月22日は、日本でラジオが放送してちょうど100年目の日ですね!
日本のラジオ100周年おめでとう!
日本のラジオ放送は1925年(大正14年)に、
よって、NHK放送開始から100周年でもありますね。
ラジオ放送はアメリカとかの海外では既に始まっていたものの、
日本では一昨年の1923年に起きた関東大震災の影響で、
日本でもラジオ放送を求める声が高まり、その2年後に実現しましたね。
初期の番組の内容はと言うと…
- 天気予報
- 相場(株式か)
- 物価献立(料理や生活情報?)
- 新聞記事(いわゆるニュース)
- 講演(トークショーみたいなものか)
- 娯楽(歌とか落語とかかな)
…といった感じで、まあ今とそんなに変わらない感じですね。
とにかく、ラジオ番組の大元は初期の頃で完成されてたんですね。
1927年には現在の夏の甲子園こと全国高等学校野球選手権大会である、
全国中等学校優勝野球大会の中継が初めて行われ、
これが日本初のスポーツ中継番組となりましたね*1。
その翌年の1928年には、
今も日本国民に親しまれているラジオ体操が開始されましたね。
とにかく、ラジオは昭和の初期から国民の生活に溶け込んでおりましたね。
けど、1941年に太平洋戦争が始まって以降戦意高揚的な番組が増え、
日本の戦局が不利になってからは大本営発表の嘘を交えた情報を発信し、
日本のラジオにとっていわゆる「暗黒時代」ともいえる状況になりましたね。
ちなみに、ラジオは昔は「ラヂオ」と表記されておりましたね。
現在の「ラジオ」になったのは戦後じゃなくて1941年からなんですよね。
文部省*2の用語・用字統一方針に従ってとの事ですが…
てっきり戦後からかと思っていたのでこれは意外ですね。
そして1945年8月15日の敗戦…
敗戦に打ちひしがれた国民は真空管ラジオの前で涙しました。
…さて、戦後のラジオの話をと言いたい所ですが…
話が長くなりましたのでここで一旦区切りを入れましょう。
では、後編をお楽しみに〜。