時代遅れの男のブログ

昭和の音楽、ジャンプ系漫画、レトロゲームが好物です

ダウン・タウン・ブギウギ・バンド『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』

こんばんは。ジオ・ジーノです。

昨日は6月9日で「ロックの日」でしたね^^♪

 

って事で、今日はこの曲を紹介いたしましょう。

「初の大ヒットした日本のロック」と言われる、

ダウン・タウン・ブギウギ・バンド港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカです。

 

ダウン・タウン・ブギウギ・バンド
((左から)和田静男、宇崎竜童、新井武士、相原誠)

 


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おお、これは『8時だョ!全員集合』だっ!懐かしい~!

 

 

【「アンタ、あの娘(こ)の何なのさ」】

このDTBWBの『港のヨーコ』は、1975年に発売されたシングルで、

同年大ヒットし、歌詞中の「アンタ、あの娘の何なのさ」が流行語となりましたね。

当時私は小1でしたので、その頃の事はよく覚えております。

 

ダウン・タウン・ブギウギ・バンド『カッコマン・ブギ』ジャケット
(『港のヨーコ~』は当初B面でした)

 

それにしても、今思えば歌詞の内容はまさに「ストーカー」だな…(汗)。

石川ひとみサンの『まちぶせ』じゃないけどw

昭和だから出来た曲なのかも知れませんね。

 

【史上初「日本のロック」の大ヒット曲】

私が思うに、これが史上初の「大ヒットした日本のロック」の曲だと思います。

それまでにも、エルヴィス・プレスリー等の影響を受けたロカビリーブーム*1や、

ビートルズ等のロックから影響を受けたグループ・サウンズ*2とかがありましたけど、

「日本のロック」と銘打った曲が大ヒットしたのはこの曲が初かと思いますね。

 

小坂一也『ハートブレイク・ホテル』※B面は旗照夫の『サヨナラの唄』
(日本初のロカビリーのヒット曲と言われてます)

 

田辺昭知とザ・スパイダース『フリフリ』
(最初のグループ・サウンズのレコードと言われる)

 

 

【宇崎・阿木夫妻で作った最初の曲】

この『港のヨーコ』は作曲がDTBWBのリーダーでボーカルでギターの宇崎竜童さんで、

作詞が宇崎さんの妻の阿木燿子さんです。

ちなみに、阿木さんはこれが作詞家としてのデビュー曲でした。

 

宇崎竜童(左)と阿木燿子

 

以降、宇崎さんも阿木さんも数多くの名曲を作って来ましたね。

特に山口百恵さんは横須賀ストーリー』『プレイバックPart2』『絶体絶命』等、

数多くの宇崎・阿木コンビのヒット曲を多く歌っていましたね。

 

山口百恵横須賀ストーリー』シングルジャケット
※ちなみに、宇崎・阿木コンビが初めて手掛けた百恵さんの曲でした。

 

【初の「日本のロック」ブームのきっかけ】

DTBWBの『港のヨーコ』が大ヒットして以降、70年代後半には、

 

 

といったロックバンドやアーティストが台頭し、数々のヒットを飛ばして来ました。

もし『港のヨーコ』がなかったら、

ひょっとしたら彼らが日の目を見るような事がなかったのかも知れませんね。

 

(左から)「ロック御三家」と呼ばれたツイスト、Char、原田真二

 

【「ヤンク・ロック」の元祖的存在】

「ヤンク・ロック(いわゆる不良(ヤンキー)+ロック)」と言えば、

DTBWB以前には、

 

  • キャロル(あの「永ちゃん」こと矢沢永吉さんがいた!)
  • 外道(当時は暴走族*4人気が凄かったという)

 

がおりましたが、

DTBWBが『港のヨーコ』を大ヒットしてからは、

実質的な「ヤンク・ロック」の元祖となったと言ってもいいでしょう。

 

キャロル(左)と外道

 

その後、80年代前半に横浜銀蠅が数々のヒットを飛ばし、

そして2000年代初頭に人気バンドとなった氣志團は、

その「ヤンク・ロック」と言うジャンルを提唱しましたね。

 

横浜銀蠅(左)と氣志團

 

【『港のヨーコ』から50年…】

そういえば、1975年から『港のヨーコ』が出てもう50年ですね。

結構昔の話になりましたね^^;

当時はロックは「不良の音楽」と言われてたんですよね。

 

あれから50年…日本でロックは本当に市民権を得ましたね。

老若男女、いろんな人たちがロックをやってます^^

けど今でも、DTBWBの『港のヨーコ』は実に衝撃的な曲だったなあと思いますね♪

 

『港のヨーコ』は5曲目に入ってますね。他『沖縄ベイ・ブルース』や『サクセス』とかも入ってます。

 

*1:平尾昌晃、ミッキー・カーチス山下敬二郎等。

*2:ザ・タイガースザ・スパイダース、ザ・テンプターズ等。

*3:のちに”ツイスト”と改名。

*4:当時は「サーキット族」と呼ばれていたそうです。